大きく変えた一日のことなのに、私はほとんど覚えていません。
妻を呼ぼうとして倒れた。
そこから先の記憶はほぼありません。
後から妻に聞いた話です。
救急車で近くの救急病院へ運ばれました。
しかし、その病院では対応が難しいという判断になったそうです。
そこで、大動脈解離の症例数日本一と言われている病院へ搬送されることになりました。
その病院からドクターカーが迎えに来たそうです。
その頃、私は時々意識が戻っていたらしく、救急隊員や医師の問いかけにも答えていたそうです。
でも、その記憶は私にはありません。
妻はずっと付き添ってくれていました。
そして、娘も病院へ駆けつけました。
これは断片的ですが、今でも覚えています。
娘が、
「お父さん、お父さん」
と泣いていました。
私は娘に向かって、
「ちゃんとしろ」
と言いました。
励まそうと思ったわけではありません。
その頃、生活が少し乱れていた娘に対して、普段から本気でそう思っていたからです。
人生の大事な場面なのに、口から出たのは、その一言でした。
今思い返しても、不思議です。
その後、私は手術を受けました。
でも、その記憶もありません。
気が付けば、病院のベッドの上でした。
後になって妻から話を聞き、少しずつ「あの日」に何が起きていたのかを知っていきました。
自分の人生なのに、自分が一番知らない一日。
それが、急性大動脈解離 Stanford Aで倒れた日でした。
そして私は、この先も何度も、
妻や家族から「あの時はこうだったよ」と聞きながら、自分の人生を思い出していくことになります。

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