急性大動脈解離で緊急手術を受けてから退院するまで|50歳の体験記

体験まとめ

私は50歳の時、

急性大動脈解離 Stanford Aで倒れました。

そのまま救急搬送され、

緊急手術を受けました。


この記事では、

倒れた時のことから、

緊急手術、

術後の病棟生活、

一般病棟へ移り、

退院するまでの経過を、

患者として経験したことをもとにまとめます。


いつもと変わらない日に突然倒れました

その日は、

特別な一日ではありませんでした。

明日も普通に会社へ行き、

普通に家へ帰ってくる。

そんな毎日が、

これからも続くものだと思っていました。


最初に感じたのは、

強い痛みではありませんでした。

「なんか変だ」

という感覚でした。

何が変なのかは、

自分でも分かりませんでした。


立とうとしましたが、

立つことができませんでした。

別の部屋にいた妻を呼ばなければと思い、

向かおうとしました。

しかし、

私の記憶はそこで途切れています。


後から妻に聞いた話では、

私は途中で倒れ、

その勢いで頭を壁にぶつけたそうです。

壁には、

大きな穴が開いていました。

その音に気付いた妻が、

救急車を呼んでくれました。


倒れた時のことは、

人生は、本当に突然変わる

に書いています。


病名は急性大動脈解離 Stanford Aでした

私は救急搬送され、

急性大動脈解離 Stanford Aと診断されました。


大動脈解離について、

当時の私は詳しく知りませんでした。

自分がどれほど危険な状態だったのかも、

すぐには理解できていませんでした。


私自身には、

搬送された時や、

手術前のはっきりした記憶がほとんどありません。


次に覚えているのは、

手術が終わった後のことです。


緊急手術で人工弁が入りました

緊急手術によって、

私は命を助けてもらいました。

その手術で、

人工弁が入りました。


手術後、

自分の胸から、

小さな音が聞こえるようになりました。

人工弁が動く音です。


最初は、

自分の体の中から音が聞こえることが、

不思議でした。


手術を受けたことで、

倒れる前と同じ体に戻ったわけではありません。

その後は、

人工弁と付き合いながら生活することになりました。


術後は機械音の中で過ごしました

手術後、

私は集中治療に近い環境で過ごしました。


周囲には、

さまざまな医療機器がありました。

機械音が鳴り、

ほかの患者さんの声も聞こえました。

静かな病室ではありませんでした。


眠れず、

睡眠薬を出してもらったこともありました。


自分の胸から聞こえる人工弁の音も、

まだ慣れない音の一つでした。


命は助かりましたが、

体は大きな手術を受けた直後です。

私自身は、

まだまだ手厚く見てもらう必要がある状態だと感じていました。


50歳でも、病棟では若手でした

その後、

一般病棟へ移ることになりました。


私は正確には、

50歳の時に倒れました。

自分では、

すでに十分中年だと思っていました。


しかし、

心臓や大血管の病気を扱う病棟では、

50歳はかなり若い方でした。


周囲には、

自分より年上の患者さんが多くいました。

一般病棟へ移る時も、

自分ではまだ早いような気がしていました。


病棟で50歳が若手だったことは、

50歳の私は、病棟では若手だった

に書いています。


当たり前だったことが、できなくなりました

大きな手術の後は、

それまで普通にできていたことが、

普通にはできなくなりました。


自分で体を起こすこと。

立つこと。

歩くこと。

トイレへ行くこと。


病気になる前には、

考えたこともありませんでした。


自分でトイレへ行けた時には、

それだけでうれしく感じました。


できて当たり前だったことが、

当たり前ではなかった。

入院生活の中で、

何度もそう感じました。


術後に感じたことは、

当たり前だったことが、当たり前ではなくなった

に書いています。


点滴スタンドと一緒に歩きました

回復のためには、

少しずつ歩く必要がありました。


最初から、

自由に歩けたわけではありません。

点滴スタンドにつかまりながら、

病棟内を歩きました。


歩ける距離が少し伸びるだけでも、

回復していることを感じました。


病気になる前なら、

歩くことに特別な意味はありませんでした。

しかし入院中は、

歩けることそのものが、

回復の目安になっていました。


点滴スタンドと歩いた頃のことは、

点滴スタンドと一緒に歩く日々

に書いています。


少しずつ退院が見えてきました

歩ける距離が増え、

自分でできることも少しずつ増えていきました。


もちろん、

病気になる前の体に戻ったわけではありません。

体力は大きく落ちていました。


それでも、

入院中の私にとっては、

自分で身の回りのことができるだけでも前進でした。


このまま少しずつ回復し、

いずれ元の生活へ戻れる。

当時の私は、

どこかでそう思っていました。


退院すれば、元の生活に戻れると思っていました

退院の日は、

うれしかったです。


やっと家に帰れる。

病院を出れば、

少しずつ以前の生活に戻っていく。

体力も戻る。

仕事もできるようになる。


私は、

そんなふうに考えていました。


しかし、

退院したからといって、

病気になる前の体に戻るわけではありませんでした。


以前なら何でもなかったことが、

負担になりました。

病院では、

困れば医師や看護師に助けてもらえます。


家に帰れば、

自分で考え、

自分で動かなければなりません。


退院は、

治療の終わりではありませんでした。

病気になった後の生活が、

始まった日でもありました。


退院した時の気持ちは、

退院したら、元の生活に戻れると思っていた

に書いています。


退院はゴールではありませんでした

急性大動脈解離で倒れ、

緊急手術を受け、

人工弁が入りました。


術後は、

機械音の中で過ごし、

一般病棟へ移り、

点滴スタンドと一緒に歩きました。


自分でトイレへ行けることや、

少し歩けることが、

大きな前進でした。


そして、

ようやく退院しました。


けれども、

退院して元の生活に戻ったわけではありません。


体力は落ち、

以前と同じようには動けませんでした。

人工弁と付き合いながら、

病気になった後の体で、

新しい生活を始めることになりました。


当時の私は、

まだ分かっていませんでした。


本当に長く向き合うことになるのは、

急性大動脈解離そのものだけではなく、

病気になった後の自分だったということを。


退院は、

元の人生へ戻る日ではありませんでした。

私にとっては、

病気になった後の人生が始まった日でした。

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